映画「第9地区」感想レビュー 10年後にやっと理解した名作

映画

僕は10年経って初めてこの映画を理解した。

これを観た当時の僕は中学生くらいだったと思います。

アカデミー賞4部門にノミネートされた名作「第九地区(2010)」

舞台となった南アフリカ共和国では、かつて人種隔離政策アパルトヘイトが行われていました。簡単に言いますと人種差別した政策ですね。それを反映させたストーリーになっていると話題にもなった映画です。

とにかく話題性が高かったので新作レンタルが出てすぐ借りた記憶があります。

エイリアンと人間の関係性を反差別的に描いた内容が心に残った作品。「こんな映画考えさせられる映画初めてだ!すごい!」と中学生ながら思った印象強いだったのでずっと心に残る名作でした。

もうあれから10年近く経ちます。

大人になった僕は「弟にもこの作品を是非見て欲しいな」と思い久しぶりに、今度は弟と一緒に観ました。

見終わった後…

「あれ?あの頃と違う…なんか胸糞悪いぞ…」

中学生の頃とは明らかに違う”強烈な違和感”

あの頃の純粋さがなくなったのかそれとも映画に問題があるのか…

この先はネタバレアリのレビューになっていますのでまだ視聴してない方は要注意です。

あらすじ

『第9地区』最新予告編

1982年、南アフリカ共和国ヨハネスブルク上空に突如宇宙船が出現した。しかし、上空で静止した巨大な宇宙船からは応答や乗員が降りる様子はなく、人類は宇宙船に乗船しての調査を行うことを決定。知的生命体との接触に世界中の期待が集まる中行われた調査であったが、船内に侵入した調査隊が発見したのは、支配層の死亡と宇宙船の故障により難民となった大量のエイリアンであった。乗船していたエイリアンたちは地上に移され、隔離地区である「第9地区」で超国家機関MNUMulti-National United)による管理・監視を受けながら生活することになったが、文化や外見の違いから人間とエイリアン達との間では小競り合いが頻発する。人間達のエイリアンへの反発や差別は強まり、やがて彼らの外見から「エビ」(Prawn)という蔑称が定着するようになった。

Wikipedia

なぜクソ野郎なヴィカスが主人公なんだ?

主人公のヴィカスはエイリアン強制移住計画の責任者に任命された若きビジネスマン。支社長の娘と結婚したエリートで周りからの信頼もある。パッと観る限り典型的な「良い人」です。

ですが現場での行動を見る限り「え?こいつクソ野郎なんじゃね?」的な言動が多い。

酷い手を使って強制移住の承諾書?にサインさせたり、エイリアンの子供にガチギレしたり。あろう事かエイリアンの卵を楽しそうにキャッキャっしてダメにする始末。

完全に命を見下している。

「これが反差別映画の主人公なんか?」と思わせる行動ばかりだ。

自分が半エイリアンになって1人のエイリアンクリストファーと交流を持つようになり、改心したように描かれているがよく見ると筋違いもいい所。自分がこれまでしたエイリアンに対しての罪深い行動と向き合う事もなく、自分の事しか考えてない発言ばかりなのだ。

最終的に「治るには3年かかる」とクリストファーに言われた後

自分の都合が悪くなった瞬間荒れ狂いクリストファーの頭を躊躇なく鈍器で殴る。

コイツまじやべぇな…

なんでこんなのが主人公なのだろう。

野蛮な宇宙人は服を着てない

第9地区にいるエイリアン達をよく見てみるとある事に気づきました。

エイリアンの特徴と言えば、野蛮で知能が低い。猫の餌の缶詰とタイヤに目がない。

立退の話も通じずすぐ暴れ出す始末。これが基本的に登場するエイリアン様子。

一方メインで登場するエイリアンであるクリストファー。クリストファーはヴィカスが勝手に名付けた名前で縁あってヴィカスと行動する事になるエイリアン。クリストファーは20年もの間エイリアン達を助けるために宇宙船のエネルギー源を作っていました。

彼は他のエイリアンと違って冷静で知性もあり仲間の死を弔う事もでき、子供思いです。非常に人間らしい人格を持っています。

クリストファーとその他のエイリアンを比べて見ると一目でわかるのがクリストファーのように好感をもてるエイリアンには衣類を着せています。

一方、他の暴力的なエイリアンの様子を見ると服を着ていません。

まるで「裸族」のようですね。

気にしすぎかわかんないけどだいぶ差別的な演出のように感じちゃいました。

テーマは人間とエイリアンで描く人種差別反対なはずなのにエイリアン内でこうも差別的な表現がされていると違和感感じちゃいますよね。

名前を明かされなかったクリストファー

エイリアンに対する差別的な表現の違和感のなかでも1番「はぁん?」って思ったのは、ラストまで明かされなかったクリストファーの本名。

物語の内容的にさして重要ではないと言えばそうなのかもしれませんがクリストファーとはヴィカスが勝手に名付けた名前なんです。

これが最後まで明かされなかった事自体がもう差別的描写。

どう言う事なのかと言いますと

白人が勝手に決めた、いかにも英語の名前「クリストファー・ジョンソン」。彼にも本名があるはずですが最後まで勝手に決めつけられたクリストファーと呼ばれ続けていました。

しかもこの名前”表上立退に必要な書類を制作するためにあらかじめテキトーに用意された名前”なんです。

きっと他エイリアン達もこうやってテキトーな名前をつけられているんだと思います。

きっとエイリアン達もちゃんとした名前があったはずなのにこうして名前まで奪われているんです。

この背景があるにもかかわらずラストのラストまで交流があったクリストファーの本名すら出てこなかったんですよ。

ヴィカスが改心したような様子を描きたいのなら本名を聞くシーンがあってもよかったんではないでしょうか。これじゃ最後までヴィカスはただクリストファーを利用しただけですよね。

ロボットに乗ってクリストファーをかばったのもただとち狂ってヤケになっただけなんでしょうか?

そんな風にしか見えませんよね。これのどこが”反差別映画”なんでしょう。

10年前の自分へ

今作の作品のメッセージは”反差別”だったはずだよね?10年前の僕は少なくともそう捉えて感銘を受けてたんじゃないかな。10年越しに観るとどうしても納得のいかない違和感があった。

その正体はは上記で記載した違和感のあるシーン。

これってめちゃくちゃ差別的な表現だと思うんよ。

もっと細かく観ると多分まだ沢山の差別的表現が隠されているだろうけど。

ラストも全然スッキリしない事に気づいた。

主人公ヴィカスの「俺の事はいい!先に行け!」みたいなお決まりの展開のおかげでクリストファーは無事宇宙船に乗る事ができました。めでたしめでたし…

じゃねェんだよォォォオ!

テメェがクリストファーの20年間の努力を踏みにじってぶっ壊してんだろォが!!

って感じ。酷いラストだよね。

中学生くらいの単純で綺麗な目ん玉で観ると上っ面の綺麗な”反差別なテーマ”つまり主人公ヴィカスが半エイリアンになってクリストファーと絡むにつれ相手の立場になって考え、改心した。

と言う綺麗な風にに映ったんだろうけど

大人の汚ねぇ目ん玉でみると差別的な表現とか汚ねぇモンが映るんだよねぇ。

もしかしたらこれって「本質をちゃんと観れてますか?」って言うのが本当のテーマだったりして。

綺麗なことを都合よく解釈して満足してるだろうけどその中身をよく見ると汚いもんもある。そんな世の中を表している社会風刺映画なんじゃないかと今の僕は思ったよ。

そう思うとこの作品ヤバすぎ。

「リアルをちゃんと観ろ」と言う監督のメッセージなのかも知れない。

あまりにも深すぎるメッセージ性に今の僕は心が打たれたよ。10年前の僕も同じ感覚だっんかな〜。

この映画を見返すまでに10年近くの年月が経ってて、これまでの僕の実生活や映画で得た約10年分の感性で観ると180度違う視点になってしまう。

こんなに味のある作品だとは10年前の僕には到底分かるはずもないけど10年前の僕があの時観なかったらこの経験はないと思ってる。この映画を観てくれてありがとう。          

僕は10年経って初めてこの映画を理解した。

 10年後のしょーより

昔の映画振り返ると思わぬ発見があるかも知れないで楽しいかも。

まぁ、過去に向けてのメッセージって届かないんですけどねw

どうせなら未来に向けて何か言えば良かったのかな?でも昔からそーゆーの苦手なんですよね。

因みに弟の感想

「これエビなの?エビが進化したエイリアン?」

コメント

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